「時間」「カラダ」そして「しあわせ」今一度考えよう!全ての頑張り屋さんに伝えたい3つのこと

 

9月下旬、三連休をとり、東京へ向かった。

(写真は新幹線の車中、新幹線の中で飲むコーヒーは格別うまい。)

 

東京行きの一番の目的はというと

僕が7月に立ち上げたコミュニティ

EMOPiの第2回東京オフ会に参加することだった。

東京滞在一日目はオフ会

夜のオフ会はメンバーのオススメのお店San Francisco Peaksにて。

様々なジャンルの仕事をしているメンバーとの濃い時間は

自分をアップデートさせてくれるような気持ちになりますね。

控えめにいっても最高すぎました。

バースデーサプライズもしてもらえ(僕9月生まれ)

その場でジーンと感極まっていた!

(プレゼントは誕生日以後でもいつでも受け付けておりますっw)

・なにかを生み出す喜び

・手探りで物事を進めていく大変さ

コミュニティを創ってから毎日感じていた。

今回のオフ会は、その2つの感覚に加え

『日々生きているしあわせの意味』のようなものを

ど真ん中に体感し噛みしめた、ほんと最高の時間であった。

コミュニティや

コミュニティーメンバーについてはまた後日に書きます。

みんないつもありがとうね。

東京滞在二日目

 

メンバーの1人が

世界一の朝食で有名なbillsで働いていたので朝から食事をしに行き

 

 

その後秋葉原にてパスタ食べながら

オフ会に参加できなかったコミュニティーメンバーと会っていた。

 

そして

学生時代に四年間働いていた職場キャンパスプラスにて

 

 

お世話になっている大切な人たちと語らっていた。

 

そんなとき

母から届いていたメールにようやく気づいた。

 

「時間があるとき、連絡下さい。」

 

短文が届いていたが内容が書かれていなかった。

なんか含みがあるなー。と思いながら後ほど電話した。

 

 

結論からいうと

 

 

昨夜、ばあちゃんが亡くなったという知らせだった。

 

寸前までゴハンを食べ

気持ちよくお風呂に入り、そのまま息を引き取ったという。

 

一切苦しむことなかった最後だったと聞いて

ある種の喜ばしさと、ばあちゃんほんまに今までお疲れ様!

というようななんとも言えないサッパリとした気持ちであった。

 

「せっかくの東京だからそのまま楽しみなさい。」

そう母は言ってくれたのだけれど。

 

僕は新幹線で実家がある関西へ戻り1人で時間を過ごした。

 

その翌日から、またいつも通り仕事に出かけた。

 

仕事に取り組んでいることもあってか

全くといっていいほど、その後も悲しさなども含めた実感がなかった。

 

数日後の手紙

 

自分の部屋から

一人暮らししていた時の手紙を見つけた。

ばあちゃんからの直筆の手紙だ。

 

学生時代を支えるかのごとく

数年にわたって

手紙とともに新米を送ってくれていたばあちゃん。

 

長年の農業で疲労を蓄積させた結果

だんだんと足腰を悪くし、カラダをひきづるようになり

最後には百姓として農業ができなくなった。

 

それから

最後の収穫となるお米を東京で口にしたとき

「もうばあちゃんのお米たべれないのか」と切なくなったのを思い出した。

 

田舎だから遊ぶものもなく

畑や自然が生きがいだったばあちゃんから農業がなくなったのだと思うと

なんとも言えない気の毒な気持ちになった日のことも思い出した。

 

「昨日手紙と、ばあちゃんの作る

最後のお米が届いたよ。ありがとうね。」

 

あの日、電話越しにそういった時

 

「もうお米を送ってあげれないけど、ごめんね。」

少し申し訳なさそうにしてたことも重ねて思い出したあたりから

おくればせながら、だんだんと胸が苦しくなってきた。

 

その苦しさを前向きなものに昇華しようと記事にしました。

1人の孫として、また人として

ばあちゃん及び、いまどこかで頑張っている人に対してのメッセージが

いくつか浮かび上がったので、真心を込めて書き綴ってみようと思う。

(前フリが本当に長くてごめんなさい。)

『全ての頑張り屋さんに伝えたい3つのこと』

頑張り屋さんのばあちゃんに

本当は生きているうち(足腰を悪くする前に)言ってあげたかったことを3点にまとめました。

角度が違うだけで3点とも1つの同じことを言っているのかもしれません。

ばあちゃんはもうこの世にはいないので、

代わりに今社会で頑張っている

頑張り屋さんに向けて今回の記事を書きました。

肩の力を抜いてお茶でも飲みながら

残りもう少しだけ読んでみてください!^^

『人生を生き急がなくていい』

まず伝えたいことの1点目は

『人生を生き急がなくていい』ということです。

というのも人生は短いようで長いからです。

理想との距離を感じる瞬間はとくに焦るときもあるかもしれません。

しかし人生100年と言われるこの時代です。

焦らず根を張ること。腰を据えること。一歩一歩積み重ねること。

を大事にして欲しいのです。

1つ1つを丁寧に味わってみて欲しいです。

社会は時に人を焦らせたり、追い込んだりさせる要素であふれています。

しかし自分だけは自分を信じて未来を信じて

落ち着いて1つ1つ何かを積み重ねてください。(僕もそうします)

ばあちゃんは人生の前半戦を苦労し

やることなすことうまくいかずに、焦りもがいていたそうです。

でも振り返ると、腰を据えてコツコツ継続したことは

人生不思議なもので、1つ残らず無駄にならなかったそうです。

『体を酷使するクセを減らし、自分を大切にする習慣を増やす』

そして伝えたいこと2点目は

『体を酷使するクセを減らし、自分を大切にする習慣を増やす』ということです。

若いときは大抵の人が健康をなんだかんだ軽んじます。

(若いし大丈夫という身も蓋もない理由でっw)

溜め込んだ疲れはどんな形であれ人生に響いてきます。

ばあちゃんはたまたま足腰だったですが

どこかが痛くなると痛くなった場所をかばうので

また違う場所に歪な負荷をかけていきます。

疲れやストレスはその日のうちにリセットする習慣をつくるなど

若い時から体を酷使する習慣は減らし

逆に自分を大切にする習慣を増やしていきましょう。

体は人生の最期の時まで取り替えできないものですから。

『無理しないという選択肢も堂々ともつこと』

最後に3点目は『無理しないという選択肢も堂々ともつこと』です。

ばあちゃんの選択肢には「百姓を引退する」というものはなかった。

でも僕はばあちゃんに対して勝手に考えるわけですよ。

体を悪くしてまで過度なペースで百姓を続けるよりも

思い切って『無理をしない』という選択肢、場合によってはスパッと辞める。

そんな意思決定もあってよかったのではないかなと考えるのですよ。

『無理しないという選択肢ももつこと』も選択肢の1つとして

多くの頑張り屋さんには頭の片隅に置いてほしいな。

時間があっても、お金があっても、大切な人たちがいたとしても

(自分のしたいことをできるだけの)健康がなければ

選びたいけど、選べなくなる切なさってのも人生にはあるから。

 

  

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

松本 信聡

90年生まれのフリーランス。大阪で8人の仲間とシェアハウス。 働き方、生き方、考え方、気づき、学生生活などを自由気ままに書いていく雑記ブログNOBLOG運営中。脱完璧主義の30パーセントぐらいで生きてます。趣味はカレーづくりと読書、手紙、そして人間観察。