初めましての方も、そうじゃない方もどうも!
最近ワンピースに出てくるイワンコフみたいなオバちゃんから(↑↑上の絵)
「あんた何歳くらいなん?35歳ぐらい?!」と地味に傷つくことをいわれ
「オイオイそんなまだ老けてねーわっ!」と突っ込みましたw
(35歳以上の先輩方ほんとごめんなさいw)
大阪でフリーランスしてます、まだまだ27歳のノブ(@nm0923nmnm)です。
さて今回のテーマは「年齢と恥じらい」です。
先日以下のような会話がありました。
人それぞれ失敗できないと感じ始める年齢があって、その年齢の常識を鵜呑みにしてると、やりたいことをダンダン諦めたりしはじめて、気づけば10年とか平気で経って「え、オレ37歳だけどなにもやってねー」みたいなこととか一番怖いよね?気づかぬうちにドンドンつまらない人生になっていくことって誰しもに起こりうるリアルだと思うんです。。。27年間の人生の中ですでに僕にも思い当たる部分がいくつかあったのでツラツラ綴っていくことにしました!!
目次
恥はかきたくないけど、やりたいことやりたい
僕には恥をかきたくないけどやりたいことが3つありました。
1つ目は文章を書いて発信すること(ようやく現在進行形で取り組んでいる)
2つ目はダンスを始めること(未だ取り組めていない)
3つ目は英語を続けること(取り組んだり、辞めたりを繰り返している)
それぞれのやりたいことに抱いていた感情がありました。
1つ目の文章に関しては自分が書いたものをバカにされたくない感情を抱いていたように思います。そのときはまるで完璧な企画書を提出するような気持ちで書いていたような気がします。その結果、書いたり消したりを繰り返してなんと3ヶ月間かけて1記事も完成しないような状態でした。(ほんとどんだけ時間かけるんだよ!みなさんは気をつけてくださいね笑笑)今は上手い下手関係なく、楽しんで文章が書けるようになってきました。
2つ目のダンスに関してはゼロスタートからの姿を見られたくないという感情を抱いていたように思います。というのも部活やサークルに、めちゃくちゃ上手い人達が多くて(主に高校からの経験者)入部するのに勇気が出ずに諦めた日のことを覚えています。今でもなんでこんな小さなプライドを理由に取り組まなかったのだろうと思い出すことすらあって未だに後悔しています。ダンスは何かしらのカタチで年内には始めたいと思っています。(誰か教えてくださいねー♡)
3つ目の英語に関しては大学の同期や後輩と比較してやる気をなくしていきました。というのも高校生でオーストラリアに2週間、大学生でカンボジアに何度も行っているのにもかかわらず、英語の学習がなぜか続かなくて、三日坊主を繰り返し、いつのまにかコンプレックスにまでなっています。興味関心が高いはずなのに未だに語学を習得できていない自分と、どんどんできるようになっていく周りとの差がだんだん恥ずかしくなってきて、「英語は別に得意な誰かに任せたらいいわー。」と都合よく解釈することでごまかしてきましたが、今もまだ気になっていることだったりしています。
考え方が今のあなたを決めている
失敗できない年齢ってなんなんだろう、いったいいつからのことを指しているのだろう。
例えば、何かを始めるのに20代でもすでに
「自分なんて今さらもう遅い、ダメだ」と半分未来を諦めている人もいれば、
80代になっても新しいことにウキウキしながら
「まだまだあれもこれも始めて見るぞ」と若々しく好奇心旺盛に生きている人もいる。
年齢は違っても年齢に左右される人と、されずに生きている人がいます。
つまり、失敗できない年齢なんてものがあるわけではなく失敗できなくさせている考え方があって、いつの間にかそういう考え方を身につけた、あなたがいるということです。
好奇心に歯止めをかける『他人との比較』という罠
僕の周りには30代40代でも好奇心を大切に育んで、自分の道をイキイキと進んでいる人がたくさんいます。こういう年齢や人の目に左右されず、何かに取り組めている人の話を聞いていると、そういう人の共通点がわかってきました!それはどこまで言っても自分は自分。相手は相手。要は自分の幸せや楽しさの感覚を大事にしてます!
一方、恥ずかしいという気持ちから好奇心を手放し、何かを始めるのを諦めがちな人も僕の友人でたくさんいるので、そういう友人の話も聞いていると、自分の幸せや楽しさが大事なのは分かっているけど、それよりも周囲の目を意識しすぎて身動きが取れなくなっているという共通点が分かってきました。
↑↑↑こんな感じでやる前からあきらめちゃってる人いますよね
年齢のしがらみはいつどう生まれたのか
「年齢の常識」って当然生まれた後から身につけてますよね。みなさんの中で、赤ちゃんの時から「失敗を気にして身動き取れなくなっていたよ。。。」とかいう冷静な赤ちゃん人いないですよね笑
赤ちゃんの時、きっと行きたいところにハイハイし、何か見つけるたびに口にいれてみたり、日々失敗することが仕事のような日々でしたよね。誰よりも好奇心の塊でしたよね!?

でもだんだん成長するにつれて親など身近な人たちから「失敗するな。恥ずかしいことするな。迷惑をかけるな。」のトリプルパンチを言われたり、言われなくても無言のプレッシャーを受けながら多くの人が育っていったのでは?!僕も例外なくいつの間にか失敗をビビってしまう自分になっていました!w 年齢や周囲の目を気にして何かを選んだり、何かを諦める。僕もそれが小さい頃の当たり前でした。ワガママで生きなくなってきている。(でもワガママって本当に悪いことなのかな!?)だって漢字で書いたらワガママは”我がまま”って書くやん。
好奇心を殺さずに楽しく生きるにはどうしたらいいの?
完璧なスタートラインを求めていてもキリがないです。誰かより勝るために何かを始めると、比較という『ジレンマ』に苦しめられるけど、そうではなくて人生をより楽しく生きるためになにかに取り組めばいいのです。「いまさらもうおそいかなぁ。」という気持ちもわからなくもないですが(正直僕もよくあるのでw)遅かろうが早かろうが関係なくスタートした人にだけ広がる世界は存在します。(始めなければ何も生まれないですけどね。)
で僕自身が今まで生きてきた27年間の中で、いろんな好奇心を殺したりとか、楽しみたいのに諦めたりとかいろいろあった中で、「どうしたら好奇心がどんどん湧き出て、それを少しずつカタチにしていって、楽しんで生きていけるのかな?!」っていうのを考え続けました。今回は僕が感じていた楽しく生きるポイントをいくつか紹介しますね。

1. 周りの人の挑戦を年齢でジャッジするのをやめよう
誰かが挑戦し始めたときその人の年齢や行動を笑ったり、冷めた目で見ていたら、自分がやるときも「きっと笑われたり、冷めた目線で見られるのだろうなーっ」て思いますよね!自分で自分を知らぬ間に縛ることにつながります。周りの人の挑戦を年齢でジャッジするのをまずやめましょう。
2. 人と比較する時間を好奇心を育てる時間に置きかえよう
「あいつは○○だ」「こいつは××だ」とか比較していると思っている以上にパワー使ってたりしますよね?それよりも、自分の好奇心がどこに揺れ動いているのか感じたり、なんでやりたいと感じたか深掘りして、楽しい一歩をどこに踏み出すか決めるのに時間とパワーを使っていく方がどう考えても有意義です。この時間は本当に大切です!さあ、ペンとノートを持ってどこかオシャレなカフェにでも行って描いてみよう♪
3. 好きで共感しあえる人たちと繋がろう
好きなことをやる時に「いいねー!」とか「できるよ!」とかで背中を押してくれる仲間と繋がれるとより一層身軽になりますよね?逆に、一人で孤独にやってたら、不安で押しつぶされそうになったり、このままで俺の道は合っているのだろうか?とか悩んだりしちゃうじゃないですか!w
4. 好奇心が刺激される人たちとの時間を増やそう
「○○さんの生き方かっこいい!」「あの人の生き方を見ていると触発されるんだよね!」と実際にすでに踏み出している人の言葉や行動は刺激となり、リアルに楽しいイメージを描かせてくれたりします。これから踏み出そうとする人にエールを送ってくれる優しい方も多いように思いますし♪好奇心が感化されていくことで人生はグンと加速していきますよ!
5. 環境を変えよう
「よく話している5人の平均値が未来の自分の姿だ!」的なヤツよくきくじゃないですか?え?あまりよく知らんけど!w (知らんのかーーーーイってどこかから聞こえてきそう)
でも間違いなく環境を変えることで、自分の意思の力だけではなく、周りの力も活かしていけると思う。僕自身今もシェアハウスで共同生活する中でいろんなメンバーが後押しをくれたりしている時とか環境の力の偉大さを感じます。(一人で実家にいたら僕は一日中ダラダラしていそうだしw)
時を逃すな、後悔のない人生を歩み続けよう

何歳になっても何かに踏み出すとその分だけさらに世界が広がる。
だから『いい歳なんだからもう○○しなよ』という言葉を何歳になっても鵜呑みにはしてはいけない。
こういう言葉を鵜呑みにしていると、時を逃し続ける人生になり、心残りが量産されることにもなる。
ふと気づいた時には、「俺はいつからこうなってしまったのだろう。。」と後悔ばかりが口に出るようになります。
そして今度はこういう人が、何か迷っている人に対して『いい歳なんだからもう○○しなよ』というようになりうるのです。
(でも僕は『いい歳なんだからもう○○しなよ』より『これから何していこっかなー?』の方が
好きだなー。みなさんはどう思いますか?^^)
いつか体がついてこなくなる前に

20代は感性が強く理想と現実に挟まれながら迷い、30代は奥さんや家族のこと含めた自分の人生で悩み、そのまま忙しさに流されて生きていったら、40代50代はあっという間にやってきて、そして時はさらに早く流れていき80代、90代にさしかかると、大抵の人は足腰が悪く歩けなかったりします。一日の時間はたっぷりあるのに、できることは少なく、天井を見つめている時間が大部分を占めてくるようになっている高齢の方って以外に多い気がします。
先月末に退職した僕は翌日おじいちゃんに会いに岡山に行きました。そのときのおじいちゃんの姿がまさに天井を見つめている時間が大部分を占めているような状態でした。他の部屋も僕のおじいちゃんのような状態の人で埋め尽くされているのを見ました。
ここまでの話は「考え方をどうにかして後悔を残さないで生きましょう!」という内容のメッセージでしたが、人生も80歳を過ぎてくると体がついてこないという、いよいよ「考え方」とか「恥じらいを乗り越えたら」とかそういう次元ではない段階になってきます。誰しもが避けて通ることはできない「老い」が待っています。いずれは「死」も待っています。
だからこそ言いたいことがあります。一生がもし80年ある人生と仮定した時に、刻一刻とあなたのかけがえのない時間が今も現在進行形で進んでいます。おじいちゃんのおかげで今が一番若い自分である事実に僕自身気づけたし、周りにもなるべく早いうちに気づいてほしいと思うようになりました。あなたが20代でも30代でも40代であったとしても同じです。繰り返しとなりますが、誰がなんと言おうと、自分の人生の中では今のあなたが一番若い状態なのです。おじいちゃんとの再会を通して、体が元気なうちの時間が人生の中でどれだけかけがえのないのかを痛烈に感じました。この元気な時間を活かさない手はないと思うのです。
ふと一人振り返ると

僕自身27年間人一倍、人をジャッジしたり、人と比較することが多かったです。(当時キズつけてしまった人!ほんとゴメンね!許してね)だから人の目が過剰に気になり、やりたいことに飛び込めなくてモヤモヤしたり、密かになんとも言えない生きにくさを感じる経験がたくさんあったなと思いました。じゃあ今はどうかというと、未だに懲りずに人と比較して疲れたり、人をジャッジしているなと思います!笑笑
だからこの記事は自分宛に書いたようなところも正直あります。自分が忘れず意識したいことを書いて即実践しようとしている感じです。恥ずかしながらこれが今の僕のリアルな現在地です。でも何歳になっても好奇心を持って1歩踏み出したい人、何かを再開してみたい人って結構いるのではないかと思ったので思い切って記事にしました!今後も時間についてや人生についてのオピニオン記事書いていきたいと思っています。
あなたは自分の年齢をどう考えますか?

みなさんの貴重な意見やコメントもぜひ聞かせてくださいね!!
特に年齢を超えて何かに飛び込めた人の実体験とかあれば知りたいです。
本日も長文読んでいただきありがとうございました♪♪^^
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